村田の町並みのほぼ中央部に位置する蔵の町並みが時代を超えて来町する人々を迎えてくれます。

 この蔵の町並みの由来は古く江戸時代にさかのぼり、花のお江戸と呼ばれた徳川将軍家お膝元の御用商人や両替商、卸問屋等街屋が、度々の出火により家屋が廃墟となった経験から、漆喰造りが生まれたことによります。江戸中期になると、この商家の伝統的建築様式が周辺に広がって行きました。

 川越、喜多方、真壁(村田領主初代村田業朝公故地)、村田が蔵の町として名が広まっていますが、村田を除く各地は蔵の建築が大正時代に終焉を迎える中にあって、村田の店蔵は江戸中期から、明治、大正、昭和初期と延々と建築され続けました。二十数棟が立ち並ぶ蔵の街並みは圧巻で、全国で唯一、現在の街並みと蔵の街並みが時代を超えて共存しています。

山田邸 文政5年(1822年)3月の棟札、川越市大澤邸に続く日本で二番目に古い店蔵

大沼邸 銘酒「乾坤一」醸造元は建築界の大御所、藤島亥次郎博士、子息幸彦氏共著「町屋点描」に紹介されています。

カド家、大養家、升家、ヤマショウ家、カネショウ家、カクショウ家、佐藤カネマン家、カネジュウ家、マルジュウ家、ヤマニ家、鹿島家、田山家等々、店蔵がかつての村田商人の殷賑ぶりを彷彿とさせ、想いを遠い昔へとタイムスリップさせてくれます。

 

公開店蔵「村田商人ヤマショウ記念館」

村田町商人ヤマショウ記念館概要

 本記念館は町のほぼ中心部の歴史的古い建物が並ぶ路線商業地にあり、建物は店蔵に棟続きの居宅と内蔵に加え3つの蔵と離座敷等から成っております。

 この離座敷は町内では数少ないもので当時来客の宿泊や集会場として、また戦後は親戚の居宅用住宅として使用され、昭和初期には古賀政男氏が来宅し宿泊したこともあります。

 また、建物に付随する表門は薬医門と言って非常に珍しいとされ「やましょう」邸のシンボルでもあります。

 これらの建物は店蔵、明治7年、内蔵、安政3年、中蔵、文政11年、西蔵、明治11年、にそれぞれ商家として建てられてもので総建築延べ面積は782平方メートルに及び歴史的文化的価値の高い建築物とされております。

 そもそも村田商人が栄えたのは古く村田郷から交通の要衝であったことから紅花の仲買による商品流通が盛んな時代からであります。

 この村田商人「やましょう」は江戸後期から明治、大正を経て昭和17年に至るまで6代にわたる大沼正七氏(代々襲名)によって経営され紅花をはじめ生糸、綿糸、農産物、味噌醤油の醸造販売等の商業活動を中心に土地所有や金銭貸付、株・証券投資等の経済活動も行われた町有数の豪商として知られ今も当時の経営の証となるべく商業鑑札や地券、取引録、大福帳、株券、公債等といったような諸帳簿や諸券が数多く残されております。

 また、備品には当時の金庫をはじめ座卓、仙台箪笥、長持、各種衣類、古銭、雛人形や食器類、額類には近角観氏(東京求道学舎の設立者)の作品や聖徳太子の憲法十七条第一条の要約を記したものなど、書籍には浄土真宗等仏教専門書をはじめ、岩波書店等が大正年間、昭和初期に発刊した哲学、思想、文学、経済、社会問題など6代目正七氏の愛読書も残されております。

 なお、展示している所蔵品は一部であり、他は居宅の公開にあわせ逐次展示されます。

 

記念館住所  宮城県村田町大字村田字町191番地

寄贈年月日  平成10年5月11日

開 館 月 日  平成10年10月6日

敷 地 面 積  1,251平方メートル(無償借地)

管   理   者   宮城県村田町役場〔商工観光課〕TEL.0224-83-2111